2012-06-08

軍艦島上陸作戦 ”鉄とコンクリート”編



端島(軍艦島)

  
↑戦艦”土佐”

今は崩壊していますが以前は島から延びた2本の煙突が
 
戦艦”土佐”に似ていたため
 
軍艦島と呼ばれてイマス。
 
 
孤島であるがゆえに台風や高波による被害が大きく
 
堤防の崩壊、修理を繰り返した結果今の形になったようです。。。

 
1810年の石炭発見から1974年の閉山まで
 
長きにわたりおよそ1570万トンもの石炭の採掘が行われマシタ。
 
 
竪坑と呼ばれる採掘用の穴の深さは垂直600m以上
 
端島には第1~第4までの4本の竪坑があったそうです。 
 
 
坑内の気温は35℃にも達し、湧水やガス、落盤と闘いながら
 
地下600mの場所で採掘が行われマシタ。。

 

周囲わずか1.2kmの小さな島ですが
 
当時の人口密度は東京の約10倍
 
人口は5300人に及びマシタ。。。
 

島内には学校や病院、役所などの公共施設をはじめ
 
映画館、パチンコ店、遊郭、商店、旅館、寺、神社・・・
 
墓地以外はすべてそろっていたそうです。
 
日本初の高層鉄筋コンクリート造アパート(大正5年)
 
日本初の海底水道敷設
 
日本初の屋上庭園
 
日本初の可動式桟橋など
 
先進技術の粋が結集した”超近未来都市”でした。。
 

また、1950年代当時”三種の神器”とよばれた
 
テレビ・洗濯機・冷蔵庫の普及率は極めて高く
 
島民のくらしはとても裕福デシタ。。。
 

しかし、日本人の裕福な暮らしとは対照的に
 
悲しい歴史もあります。
 
 
戦時中における中国人捕虜や朝鮮人坑夫に対する強制労働
 
1日2交代、12時間以上の重労働、食べ物もろくに与えられず服は下一枚だけ、
 
日の当たらないアパートの下階に押し込まれ
 
寝返りも打てないほどの雑居生活。
 
そして日常的に行われるリンチ。
 
脱走を図り海に飛び込んだ者は力尽き生きて岸にたどり着くことはできませんでした。
 
かつて”一に高島、二に端島、三で崎戸の鬼ヶ島”と呼ばれたように
 
脱出不可能な孤島の炭鉱は恐れられ
 
端島の桟橋に残る石造りの門は一生出られない”地獄門”と呼ばれました。。

 
思い出の故郷として純化された『端島』である一方
 
語られることの少ない『負の遺産』でもあります。。
 
 

 



さて、


 




 
まずは島の周りをまわりマス。。

 
 

東側。。。
 
 




 
西側。。。
 


堤防の穴はかつて海底水道の管が
 
海からあがってきていた跡。。

 




 
30号棟と第2竪坑桟橋階段跡。。
 
左の赤煉瓦は第3竪坑捲座跡。。


 
 


 
丘の上は貯水槽跡。。


 

 


 
同じく丘の最上部には幹部職員社宅3号棟。。。

島内唯一室内風呂が設置されてイマシタ。。。

 





 
丘の上中央の三角屋根は端島神社。。。


 




 
左奥の職員社宅56号棟と
 
途中で折れた煙突が特徴の65号棟。。。
 

煉瓦の建物は第4竪坑捲座跡。。。


 



 
巨大な70号棟、端島小中学校。。
 
最上階の7階部分は増築。。



 
 


 
65号棟と端島小中学校
 


迫力あるナァ。。。




 
180度のオーシャンビュー。。


 




 
最上階、理科室の壁はなくなってしまった。。。




 
 


 
1958年造。。。


 




 
美しすぎるなぁ。。。





 


 
あっアレは。。。

 
 




 
単身寮67号棟にかかる有名な”X階段”
 
近くで見たいナァ。。。

今の建築物ではまずありえない構造。。。
 
1950年造。。


 



 
どこからでも見える島内最大の65号棟。
 
1945年造。。

右は緑に塗られた端島病院
 
手前は教員住宅ちどり荘。。。
 
ともに1958年造。。 


 




 
島の北西側。。。
 
左の白い建物は隔離病棟。。

  





 
これも65号棟。。



 


 
・・・灰色。。
 
戦時中、建物は迷彩色(黒)に塗られマシタ。。

 
 




 
あっ。。


 





 
堤防中央
 
海に降りる階段”メガネ桟橋”
 
後のゴミ捨て場。。。
 
 





 
右の51号棟と中央の16号棟。。
 
左は1階に商店があった57号棟。。

ここには有名な階段がありマシタ。。
 
島の最底部から最上部の端島神社まで一気に駆け上がったことから
 
”地獄段”と呼ばれてイマス。。。
 
また、大変にぎわった場所でもありマス。。









 
右の51号棟は1961年造
 
左の16号棟はなんと1918年(大正7年)造!!!



 





  
海に面した建物は防潮壁の役目も兼ねていたため
 
窓は小さく造られマシタ。。
 
波の高さは30mを超えることもあったそうです。。



 


 
高潮や暴風の影響を受け荒廃してイマス。。




 



 
手前から
 
老人クラブや役場のあった22号棟 1953年造
 
教職員用町営住宅の13号棟 1967年造
 
奥は幹部職員社宅 3号棟 1959年造



 
 

 
木造3階建だった職員住宅12号棟は崩壊し
 
土台部分だけ残る。。1925年造


 




 
左の長い建物
 
防潮壁を兼ねた31号棟 1957年造
 
共同浴場や郵便局がありマシタ。。






 
壁に一か所大きい穴。。
 
採掘時に発生するボタ(捨石)を海洋投棄するためのベルトコンベアーが貫通してイマシタ。。







 
左 31号棟と
 
右 国内最古のコンクリート造アパート30号棟。。

1916年(大正5年造)

 

 




 
右下39号公民館、21号木製檻のあった派出所・鉱員社宅、
 
48号鉱員社宅・地下パチンコ店
 
14号職員住宅、奥は幹部社宅3号棟。。






 
着岸シマシタ。。


 




 
海キレイ。。

昔はすべてのゴミが海洋投棄されたため
 
ものすごく汚れていたそうです。。



 


 
いよいよ上陸デス。。





 
手前は当時から残るドルフィン桟橋
 
これも日本初の構造。
 
波で2度崩壊し3代目。。
 

これができる前は
 
時化たときは上陸できなかったそうです。
 
荒波の中、桟橋から垂らされた縄梯子で昇降してたそう。。


 
丘の上は貯水槽。。






3号棟の下のコンクリートはうっすらミドリ。。



 
 



 
かつてこの島には緑がなかったため
 
”少しでも緑を・・・”という気持ちから緑に塗られマシタ。。
 
端島を舞台とした映画”緑なき島”なんてのもありマシタ。。


 




 
この辺でチョット記念にフォー!!!のポーズをしてミマシタ。。
 
今は規制が厳しく移動できる範囲はわずかしかアリマセン。。
  
 
端島小中学校内部、端島病院内部、地獄段
 
30号棟内部、16~20号棟
 
理髪店跡、端島神社
 

見たいところたくさんあるのに・・・。
 


居住区には一切立ち入れマセン。。
 


以前、この島で暮らし働いていた方が
 
いろんな話をきかせてくれマシタ。。。





 
ベルトコンベアーの支柱・・・

 
 



 
丘の上の貯水槽には海底水道から延びた配管・・・


 
 
 


 
第2竪坑跡・・・


 
 


 
30号棟・・・

 





 
モーター?






櫓の跡・・・

 
 




 
赤煉瓦は第3竪坑捲座跡
 
右は第2竪坑跡”命の階段”・・・


 



 
生きて戻れなかった坑夫もたくさんいたそうです。


 
 



 
普段は厳しかった職員も
 
変わり果てた姿の部下には
 
”よくやったな、頑張ったな”と声をかけ
 
みんなで抱きかかえ
 
丁重に扱ったそうです。。

 
 



 
緑のなかった島は
 
緑に包まれようとしてイマスネ。。。
 

緑は鳥が運んだそうです。。



 



 
この壁は今日壊れてなくなるかもしれない。。。
 

 



 
かつて”超近未来都市”と呼ばれたこの島も・・・



 
 



 
過去のものになってしまったように見えマス。。


 






 
しかし見方によっては・・・


 
 



 
僕たちの未来を見ているような
 
不思議な気持ちになってしまいマス。。



 
 



 
繁栄と衰微


 
 
 


 
光と闇


 



 
創造と崩壊
 
 

 


 
富裕と貧困
 
 
 

 


生と死
 
 
 




 
そして土と緑。。

 






 
間違いなく言えるのは・・・
 


 
 
 


 
ここに5千人の暮らしがあったこと。。。
 
 

 



 
煌々と明かりをともし
 
夜通し稼働したこの島は
 
かつて不夜城と呼ばれマシタ。。
 



 
 
戦時中には攻撃も受けました。。。
 


 



 
そんな島も今では
 
元の岩礁の姿に戻るまで
 
ゆっくり静かに浮かび続けマス。。。
 
 


 


・・・ということで
 


 

 
 
下船した我々は・・・
 
 





 
トルコライスのお店にキマシタ。。
 


うしろのオネイサンばかり見てたので
 
 
味はあまり覚えてイマセン。。。 

 
 


 
ですがオネイサンのことは
 
時々思い出しマス。。。
 
 
 
 



 
中折れショウジXクンのアクセルワイヤーはHONDAの店で買って流用
 
帰途につきマス。。
 






 
下道をのんびり走って・・・
 
 

 
 




 
ココにも寄ったりシマシタ。。。
 
 
 

 

 今回も楽しい旅だったなぁ。。。 
 
 



 



・・・帰ってお風呂に入り軍艦島を浮かべマシタ。。。
 
 



 







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